『Dementia praecox』
早稲田大学高等学院演劇部
登場人物
岩井(いわい)家のひとびと
・正平・・・父親。
・仁 ・・・長男。
・聖二・・・次男。
それ以外の人
・小笠原・・・若い精神科医。
登場しない人
・愛(めぐみ)・・・正平一の妻。
プロローグ
幕があがると花に照明(花の位置は左記)。音声だけのシーン。
畳に崩れる音。(ここでの正平は酔っている)
正平 おい、お前、今日もあいつに色目つかったろ?俺がいないのを見計らってはあいつ
をベッドに呼び込んでるんじゃねえのか?え?・・・なんとか言えよ!
平手打ちの音。
正平 なんだその目は。なんか文句あんのかよ、あん?俺が知らないと思ったら大間違い
なんだからな。わかってんだからな!お前が、あいつと!
仁 あいつと?
ふすまの開く音。照明フェードアウト。
正平 仁。
仁 パパ。
パトカーのサイレン音、だんだん大きくなり、最大限で止まる。
舞台は岩井家の食堂。中央にダイニングテーブル。椅子は四つ。
(どうしても用意できなければ書斎机。)
真ん中には一輪の花と、額の女の写真。。下手に肘掛のついた椅子が一つ。上手に棚、その上に電話。上手側に台所、下手側は玄関。
仁は、ルービックキューブをいじっている。
聖二 ロスアンジェルス、モントリオール、ローマ、パリ、カイロ、ギザ、プーケット、それから、えっと・・・
仁 台北、ロンドン、イスタンブールにカルカッタ。
聖二 カルカッタ?って、どこだっけ。インド?
仁 カルカッタは・・・カルカッタ。
聖二 どんなところなの、カルカッタ。
仁 大草原、緑の山、ハイジの世界。
聖二 へー、カルカッタってそんなとこなの。
仁 カルカッタってそんなとこなの。
聖二 次はどこへ行くの?
仁 うーん、まだ決めてない。
聖二 そう。
仁 (起きて)ま、でも、できれば、ヨーロッパを経由してモスクワ、サンクト・ペテルブルグ、そのままずっと行って、シベリアまで。
聖二 へー・・・兄ちゃん、色んなところに行くんだね。
仁 詩人ですから。
聖二 詩人は、旅をするものなの?
仁 そりゃあ、世界で色んなものを見てこないと、いい詩なんて書けないから。
聖二 そっかぁ。・・・ねぇ、そういえば、パパとママも行ったことあるんだよね?モスクワ。
仁 新婚旅行でね。
聖二 じゃあ、今日パパ帰ってきたら、きっと覚えてるよね。
仁 どうかな。なにしろ、親父の頭の中は真っしろですから。
聖二 そっか・・・。僕ね、パパに見せたいものがあるんだけど・・・パパ、それも分からないかなぁ。
仁 さぁね。
聖二 ・・・(椅子を動かす)。ねぇ、兄ちゃん、そろそろ着替えてきたら?もうすぐ帰って来ちゃうよ、パパ。
仁 えー、これでも、いいかなって思ってんだけど?
聖二 だめだめだめ、そんな格好してたら、怒られちゃうよ。
仁 あー、はいはい。お前は本当にキレイ好きだな。そんなピッチピチに制服着て。
聖二 だって、今日はお客さんも来るんでしょ?余計に注意しなきゃ。なんだっけ、メガネのお医者さん・・・。
仁 小笠原。
聖二 ああ、小笠原、そうか、小笠原ってのか、あの人。
仁 そう。さすがに顔覚えちゃったわ。親父の病状、聞かされたからね、何度も。
聖二 でもさ、あの人なんか影薄いじゃない。
仁 そう?立派なお医者さんなのに?
聖二 うん。
仁 そうかもね。あの人もいい題材になるかもしれないな。
聖二 なんの?
仁 詩ですよ、詩の。
聖二 え?影の薄い小笠原?そんなの詩の題材になるの?
仁 やってみせようか?
聖二 うん。
仁 (立つ)・・・影の薄い男、小笠原、鍵をあける。神と会う。
聖二 神?
仁 自分を神だと信じる神、神に傅くものだと信じる神、神のもとへ逝こうとする神、・・・それを見て微笑む神。
聖二 神がいっぱい。何のこと?
仁 さあね。微笑む神なら知っていますが。
聖二 微笑む神?
仁 我等が父親。
聖二 パパが、微笑む神なの?
仁 そう、微笑む神。この一年間は本当に大人しい。
聖二 そうなんだ。
仁 聖二も行ったろ、病院に。んで親父に会ったろ。
聖二 え?そうだっけ・・・。
仁 そうだよ。覚えてないのか?
聖二 うん・・・。
仁 ほら、まるで砂糖漬けにされたみたいにヘナヘナで・・・。
聖二 砂糖漬け?
仁 うん。
聖二 砂糖漬け・・・あ。・・・「デメンシア・プレコクス」。
仁 え?ああ、「デメンシア・プレコクス」。
聖二 そういえば、近頃、食べてないなあ。
仁 ああ、昔は、毎日のように食べてたもんな。
聖二 甘かったよね。とにかく甘かった。
仁 でもあの砂糖漬け、今どこにあるのかわからないんだ。
聖二 そうなの?なんで?食べたくなっちゃったよ。
仁 ママが、いないからね。
聖二 探せばあるかもよ?ママが作り置きしてあるかも。
仁 どうかな。ママが行ってからもう長いから。
聖二 (写真を取る)ほんと、随分長い旅行だよね。どこだっけ?
仁 え、北海道、だったかな。
聖二 いいなあ、
仁 行ったじゃんか、
聖二 いつ?
仁 ほら、お前が小学生で、俺が中三で、夏休みに。
聖二 ・・・行ってないよ?
仁 行っただろ、ほら、函館からレンタカーでぐるっと回って。
聖二 そうだっけ。
仁 そうだろうが。途中でガス欠でヒッチハイク(こうやって)
聖二 そっか。回ったか、北海道。(ヒッチハイク)
仁 回った回った、北海道。
聖二 じゃ、ママも今、回ってるんだね、北海道。
仁 ああ、回ってる、北海道。
聖二 そっかぁ・・・回る回る、北海道。
仁 ・・・さて砂糖漬け、もう一度探してくるか。
仁、上手はけ。
聖二 回る回る・・・♪まわる、まわるよ、時代はまわる。
聖二、テーブルの周りを回りだす。扇風機の首を振ったりする。
仁、戻ってくる。聖二は気づかない。
聖二 まわる、まーわるーよ(くるっと一回転)
聖二、一回転した拍子に、机の上の写真を倒してしまう。
聖二 あっ!(ティッシュを多量に使って拭きだす)
仁、下手の椅子へ。座って箱の中の砂糖漬けを食べようとするがない。やがて聖二の前に砂糖漬けを出す。
聖二 あ。(箱を開ける)
仁 残念。もうなかったわ。(ティッシュを片付けはじめる。)
聖二 えー、ないのー。このくそったれー。
仁 よい子は悪態をつくのをやめましょう。
聖二 もう!兄ちゃんがちゃんと整理しておけば食べられたのに!
仁 聖二・・・。
聖二 食べたかったのに、あの花。紫色で、みずみずしくて。食べるとなんだか心を静かにしてくれる。
仁 これでしょう、この花。
聖二 そう、この花!ねえ、この花も(取る)砂糖で漬けたら食べられる?
仁 そりゃあ、同じ花ですから。デメンシア・プレコクス。(座る)
聖二 デメンシア・プレコクス。
聖二、箱の匂いを嗅ぐ。
聖二 ああ、いい匂い・・・。ちょっと眠くなったりして・・・、
照明、紫っぽくなる。
仁 (立って仁に近寄る)(声音を変えて)聖二、そんなにたくさん食べると、眠くなっちゃうよ。
聖二 (振り向き)どうして眠くなっちゃうの、ママ。
仁 ママもよくわからないんだけど、この花、昔は眠り薬の原料だったんですって。
聖二 ほんとう、ママ。
仁 ね、聞いたことあるでしょう、昔こわーい王様がいて、その王様を倒すためにこの お花を使ったのよ。
聖二 へー、そうなんだ・・・。
仁 あら聖二、眠くなってきちゃったの?
聖二 うん、なんかもう、眠くて眠くて・・・。(コックリ)
仁 あらまあ聖二ったら。じゃあママがお歌を歌ってあげましょうね。ひーとーりーみーるーゆーめーは・・・
照明、だんだん戻る。
聖二 あっ、それ!ママ!いや、ママがよく歌ってた!
仁 ♪ひとりみる夢は、素晴らしい君の、踊るその姿♪(歌いながら下手の椅子に座る。途中から聖二も混ざる)
聖二 ははは。でももっと早い曲だったよ、これ。(ノッて)♪(前奏)ひとりみる夢は、素晴らしい君の、踊るその姿。僕の胸に・・・♪
仁 どうした?
聖二 ♪僕の胸に・・・♪僕の胸に・・・なんだっけ。
仁 そりゃ、あれ、まてよ、♪ひとりみる夢は、素晴らしい君の、踊るその姿。僕の胸に・・・♪ あれ。
聖二 なんだっけ。
仁 ママはちゃんと最後まで歌ってたのに。
聖二 あれー、(イライラする)
仁 何かの名前、人名だったかな。
聖二 なんだったかな。
仁 そうだ、確か女の人の・・・。
聖二 なんだっけ。
仁 だから女の人の・・・。
聖二 なんだっけ!(立ち上がる)
仁、抑えて座らせる。
仁 待て待て、聖二。落ち着けって。な。そう、女の人の名前だったような気がするんだよ。♪僕の胸に
聖二 ♪花子♪
仁 花子じゃないなあ・・・。
聖二 ♪マリア♪
仁 それは隣の女の子だろ、
聖二 ♪愛♪
仁 それは・・・、ママだろ。
聖二 そうだ、ママだった。
仁 そう、愛。
チャイム音。
聖二 あれ、誰かな?
仁 微笑む神だ。
聖二 パパ?
仁 帰ってくるっていったろ、影の薄い男と一緒に。
聖二 小笠原!
仁 わかっているなら結構です。
聖二 結構結構!
チャイム音
仁 (立つ)はあい!困ったな、まだご飯温めてない。
聖二 だめだなあ、今日は兄ちゃんがやるっていうから任せたのに。手際が悪いんだから。これなら僕がやっておけばよかったよ。手伝ってあげようか?
仁 お前に手伝いなんて(できるわけ)・・・
チャイム音
聖二 何?
仁 なんでもない。じゃ、俺着替えてご飯の準備するから、お前が二人をお招きして。
聖二 微笑む神と、影の薄い男、ね。
仁 そう。よろしく!
仁、上手に(急いで)はける。
聖二 変なコンビ。
聖二、下手へ向かう。小笠原とばったり会う。
聖二 あ、
小 すみません、何度呼んでもお返事がないので。
聖二 いや、すいません。ええと、あなたは。
小 あ、私は、岩井さんの担当医をしています、小・・・。
聖二 あ、影の薄い・・・あ・・・といえばもう日も短くなってきましたよね、だんだん。もうすぐ暗くなるんでしょ。あれ、これからお日さま、長くなるんだったかな。あれ?
小 あの、
聖二 地球がここにあって、太陽があって、月があって、夏には地軸が・・・、
小笠原、聖二に軽く触る
小 (もの静かに)こんにちは、聖二くん。
聖二 ・・・こんにちは、小笠原先生。
小 僕の名前を?
聖二 だってお会いしたじゃないですか、パパのお見舞いに行ったときに。
小 そう・・・いや、最近忙しくてね。あれ、仁くんは?
聖二 兄ちゃんは料理をしてます。
小 わざわざ悪かったね、せっかくの家族・・・
聖二 あれ、パパは?
小 お父さんはね、ちょっと車の中で待ってもらってるんだ。
聖二 車ですか。僕は車には乗れません。酔っちゃうので。だから車も売っちゃったんです、兄ちゃんが、。
小 うん。
聖二 呼びに行ってもいいですか?
小 ああ、頼むよ、鍵は開いてるから。
聖二 はあい
聖二、下手にはける。小笠原、部屋のあちこちを見て廻る。皿を載せたお盆を持った仁
(エプロンをつけている)が上手から入る。
仁 こんにちは小笠原先生。
小 あ・・どうも。
仁 聖二にはもう会いましたか?
小 はい・・。でも本当に彼を・・・?
仁 そういう約束ですよね?
小 はい・・・
仁 先生、あいつは親父が居なくなってから、ずっと不登校なんです。中学は入学式に 出たきりなんです。前に話しましたよね?
小 しかし、それだけでは、
仁 それだけじゃありません。本人と話せばいずれ分かりますよ。
小 ええ・・・でも・・・
仁 (歩く)小笠原先生、あなた、
チャイム音
聖二 (下手から声)パパ、ベルなんか押さなくていいんだよ?
仁 とにかく頼みましたよ。
仁、上手よりはける。
小 仁くん・・・。
聖二、正平の手を引いて下手より入る。
聖二 パパ、こっち。
聖二、振り返り、正平と向かい合って手を取り合う。
聖二 ほらパパ、かわってないでしょう。
正平 ほんとうだ、全然かわってない。
聖二、しばらく正平の顔を見てから振り向く。
聖二 微笑む神って・・・、本当なんですね。
小 微笑む神?
聖二 そういってたんです、パパのこと、兄ちゃんが。
小 そうか。微笑む神、ですって、岩井さん?
正平 聖二、ありがとう。
聖二 小笠原先生!
小 なんですか?
聖二 よかった・・・、兄ちゃんったら、まるでパパの記憶がぬけているような言い方をするんですよ?パパの頭の中は真っ白なんだ、って。
小 うん・・・、それは大丈夫。記憶はなくなっていないよ、だけどね聖二くん、パパは少し記憶が取り出しにくいんだ。それにいつでも笑ってらっしゃる。
聖二 そのぐらい構いません。パパが僕のこと覚えていてくれたのだから。(後ろをふりむく、正平はこの間にダイニングテーブルの奥の席に移動していた)ほら!三年ぶりだっていうのにちゃんと座る場所まで覚えているんですから。あーよかった。ねえ先生。
小 そうだね。
聖二 あ、座ってください。これでもどうですか?パパもどう?
正平 なに?
聖二 ほら、(箱を指差す)
正平 ああ。
小 なんです、それは?
聖二 知りませんか?(箱の中身を見せる)これ。
小 これ?
聖二 あ、そうだ、空だったんです。すみません。
小 じゃあ、何か入っていたの?
正平 デメンシア・プレコクス。
聖二 そう、これは、デメンシア・プレコクスです。ほら、この花。知ってます?
小 デメンシア・・・
聖二 プレコクス。
小 ・・・。(花をまじまじと見る)
聖二 どうかしました?
小 いや、別に。
聖二 (手を差し出している正平に)パパ、ごめんね、もうないの。ほんと、ごめんね。また新しいの、買ってくるから。
正平 大丈夫だよ、いらない。(手を引っ込める)
聖二 そう。じゃあ、何かして遊ぼうか?何がいい?昔みたいにさ、将棋でもする?
正平 将棋・・・。
聖二 ママ、将棋板出して・・・ママ。
正平 ママ、ママは・・・。
聖二 パパ、ママのこともちゃんと覚えてる!よかった。何かして遊ぼうよ。みんなで。よくやったじゃない、将棋も、オセロも、人生ゲームも。楽しかったよねぇ。
正平 人生ゲーム。
聖二 いろいろやったよねえ、ほんと、パパ?
正平 そうだね。
聖二、小笠原を見る。
聖二 ・・・あのう・・・。
小 何ですか?
聖二 どうしてこんなに優しい顔になったんでしょう、前は、実際、こんな顔することなんてなかった。
小 うん・・・
聖二 兄ちゃんには。前に手術をしたって聞きました。それが原因ですか?
小 え?あぁ、まぁ、そういうことになるかな。
聖二 じゃ、記憶が取り出しにくい、って言ったのも?
小 うん、まあ。ところで聖二くん、君はどう?記憶が取り出しにくくなったりすることない?
聖二 え?
仁、鍋をもって上手から入る。シャツにズボン。
仁 さて、その辺にしてさ。食事にしたら?(鍋をテーブルの上に置く)
聖二 兄ちゃん、パパだよ。パパ!
仁 よかったな、ちゃんと会えて。(小笠原に)先生、聖二は時々、親父のことになると、すごく子どもっぽくなってしまうんですよ。
小 そう。
聖二 そんなことないよ。兄ちゃんだってママのことになるとそうじゃない。僕がママのことを尋ねるたびにムキになって・・・
仁 先生、今日はカレーです。親父、久しぶり。
正平 ・・・。
聖二 兄ちゃん、今日はカレーなの?(鍋を指す)
仁 そうだよ。カレー。言っておいたろ?
聖二 え、聞いてないよ。
仁 言ったよ、ちゃんと。すいませんね。
聖二 ・・・そうかな。
仁 ああ。(鍋蓋を開こうとする)
小 あの、
仁 はい?
小 客がこんなことを言うのもなんなんですが、ご飯のようなものは頂けないんですか?
仁 それなら、ちゃんと中に。(開ける)
小 中に?(覗く)
仁 うちでは、カレーのルーとご飯を一緒に煮るんです。独特でしょ?
聖二 ね。
小 はあ(正平、なべを触る)・・あー・・・・なんで赤いんですか?こんなルーがあるんですか?とっても辛そう・・・。
正平 いちごぢゃむ
小 あのー・・私ちょっとイチゴは苦手なので・・
聖二 先生、せっかく僕らが作ったのに。
小 すみませんが、遠慮させていただきます。
仁 それは残念ですねえ。でも、しょうがないか、初心者にはちょっと刺激が強すぎるかもしれませんね、これは。
小 はあ。
聖二 パパ、お鍋触って、熱くないの?(鍋に触る)あちっ!
正平 熱くないよ。
小 岩井さん、早く手を離して!(手をひっぺがす)少し冷やさないと。
仁 俺が行きますよ。(親父に寄る)ほら、親父。
小 お願いします。
仁、正平と上手はけ。聖二、立って見送る。
聖二 大丈夫かなあ、パパ。
小 (座る)あれくらいの火傷なら、少し冷やしておけば治るよ。
聖二 よかった。(座る)
小 いつもこういうカレーを食べるの?
聖二 そう。レトルトは口にあわなくて。
小 だろうね。
聖二 でもカレーは久しぶりなんです。ママもいたらなあ・・・
小 お母さんはいらっしゃらないの?
聖二 旅行に行ってるんです。
小 どこに?
聖二 え〜と、北海道!回ってるんです。
小 回って・・・?
聖二 はい、回ってるんです。どんどん回ってるんです!ずんずん回ってるんです!!
小 そう、楽しそうだね。・・・しかし、きれいな部屋だね。
聖二 ありがとうございます。ママも僕もキレイ好きなので。
小 そう。
聖二 はい。だけど、兄ちゃんは違うんです。僕らの家を汚したがるんです。
小 汚したがる?
聖二 いつも、遅くに帰ってきては、泥んこのまんま歩き回るんですよ。僕が折角きれいにした所も、泥まみれにしちゃって。毎日一体どこで遊んできてるんだか。
小 ・・・そう、なんだ。
聖二 パパが居た時は、あんなじゃなかったのに。なんで、パパは、いなくなっちゃったんだろう。パパは・・・なんでママを、殴ったんですか?先生。
小 ああ・・・、君のパパはね、たぶん、いろんなことに疲れちゃったんだと思う。仕事も忙しかったみたいだしね、家庭でも何かあったのかもしれない。いろんなストレスがあって、疲れがたまってしまったんだよ。
聖二 ストレスですか・・・。なんだか、かわいそう・・・。
小 うん、そうだねえ。
仁、上手より入る
小 あれ、仁くん、お父さんは?
仁 (座る)親父ですか?拒否するんですよ、拒絶と言ったほうがいいかな。俺が見てると蛇口に手を伸ばそうともしない。だから結局一人でやらせることに。
小 そうですか。
正平、戻ってくる。
聖二 あっ
小 (立って振り返る)早いんですね。大丈夫ですか?岩井さん。
正平 はい、大丈夫。(立ったまま手を見せる)
聖二 よかった、パパ。よくなったみたいだね。ストレスもよくなった?
仁 何、ストレスって?
聖二 秘密、秘密だよ。ねぇ、小笠原先生。
小 は、はあ。
聖二 それよりさ、早く食べようよ、これ。
仁 聖二。
聖二 何?
仁 小笠原先生これ食べられないからさ、もっと何かほかのもの作ってきてよ。
聖二 ほかのものって?
仁 ほかの料理。聖二は料理、得意なんでしょ?
正平 ほんとに?
聖二 そうだよ、僕いつもやってるもん。得意中の得意。
仁 聖二シェフ、お願いします。
聖二 うむ、待っておけ。ウェイター(仁を指す)はできたらサッと来るんだぞ。
仁 はい、シェフ。(立って上手側で聖二を覗く)
聖二、上手はけ。
小 おもしろいですね、聖二くんって。なんだか楽しそう。
仁 なんで言ったんですか?
小 え?
仁 (小笠原に振り返る)なんで言ったんですか、親父のDVの原因のこと。ストレスだって。(ゆっくり下手側の椅子へ)
小 岩井さんの前でそんなこと・・・。
仁 言わなくていでしょう、ストレスだなんて。この男は、か弱い妻を殴った。それだけで十分でしょう。理由なんかどうでもいい。その事実が大事なんだ。
正平 仁・・・。
小 そんなこと言わなくても。
仁 いいですか、ちゃんとやってくれないと困ることになりますよ。お互いに。
小 すみません・・・、
仁 俺のこと、何か言ってませんでしたか。遊んでるとか、汚いとか。
小 あ、
仁 言ってたでしょう。あいつは、本気でそう思ってるんですよ。誰のおかげで生活できてるか、全く気にもとめないんですよ。こっちは死に物狂いでやってきたっていうのに。
正平 仁、何かする気?
仁 なんでもない。親父は頼むからおとなしくしててよ。
正平 仁、
聖二 (声のみ)ウェイター!来て!料理ができましたよ。
仁 随分、早いな。
聖二 ウェイター!
仁 はあい、シェフ。
仁、上手にはける。
小 ・・・岩井さん。
正平 はい、先生。
小 私は、医者として失格です。
正平 先生。
小 私は、地位にしがみつくことしか能の無い人間なんです。
正平 先生。
仁、アイスクリームのカップをお盆に載せて、上手から入る。
仁 できたそうです。
小 あれ?
聖二、上手から入る。
小 聖二くん、これ、アイスクリーム?
聖二 そう。作れなかったの。なんにも材料がなくて。
仁 冷蔵庫は見なかったの?
聖二 冷凍庫はしっかり見たよ。
正平 おいしそうだね(手をつけない)
仁 先生、アイスクリームは大丈夫ですよね?
小 いや、大丈夫です。いただきます。
聖二 パパ、もうストレスなんかないよね?
仁 またそれ?聖二、それはいいじゃない。親父も小笠原先生の病院でちゃんと治してもらったんだから。
聖二 そうだけど・・・。
仁 とりあえず、食べよう?
聖二 うん・・・
正平 まだ食べたくない。
仁 え、なんで?
正平 まだおナカが減らない。
仁 でも、冷めちゃうよ?
正平 まだいらない。
仁 ・・・そっか、・・・困ったな。折角用意したのにな。
聖二 そうだ、兄ちゃん。先生にあの話してあげてよ。
仁 え?あの話って?
聖二 カルカッタ行ってきたときの話。
小 カルカッタ、ですか。
聖二 行って来たって話してたよね、さっき。
仁 あ、ああ、まぁ。
聖二 大草原、緑の山、ハイジの世界。
小 ハイジ・・・?
仁 あ、その、違うんですよ。聖二、こんな話しても先生面白くないよ。
聖二 そうかなぁ。先生、そうなんですか?
小 え、いや、そんな、
仁 面白くないよ。面白くないにきまってるだろ。
聖二 何で?僕はとっても楽しかったよ、兄ちゃんの話。
仁 それは・・・
聖二 話してくれたたじゃない。こないだはカルカッタへ行ったって。ロスアンジェルス、モントリオール、ローマ・・・えっと、・・・それで、こないだは、次は、できればヨーロッパを経由してモスクワから・・・モスクワから、えっと、、なんだっけ、モスクワ・・
正平 モスクワ・・・
聖二 え?
正平 モスクワ、ママ、新婚旅行、
聖二 パパ・・・覚えてるんだね!ママとの新婚旅行のこと、覚えてるんだね!
正平 うん、
聖二 あ、そうだ!パパに見せたいものがあるんだった!ちょっと、待ってて!
聖二、立ち上がって上手へはける。
仁 先生、見ましたか?今のあいつ。
小 え?
仁 ちょっと話題が変わった途端、それまでのことは全部、コロっと忘れてる。あいつ
の頭と感情はコロコロ変わるんですよ。あんなのと話してたら、こっちまで気がお
かしくなりそうだ。
小 ・・・詳しいことは、精密な検査をしてみないと分かりませんが、、恐らく、若年
性の認知症ではないかと。
仁 認知症?なるほどね。
小 しかし・・・聖二くん、今十四歳でしたよね?
仁 ?ええ。
小 症状が出始めたのは、いつ頃からですか?
仁 さぁ、、親父が行っちゃった後だから・・・三年前くらいからですかね?
小 そうですか。誰か、身内の方に、同じ症状を持っている人は?
仁 たぶん、いませんけど・・・どうしたんですか?
小 いえ、、ちょっと。
仁 ・・・まぁ、とにかく、病気であることには間違いないんですよね?
小 ええ、まぁ。ただ、詳しいことは(検査してみないと)
仁 だったら、さっさと連れて行ってくださいよ。病気のやつがここに居たってしょ
うがない。
小 いや、でも、あの分だとまだ症状は軽いようですし、自宅で治療することは充分可
能だと、
仁 小笠原先生。あなたはただ黙って、聖二を連れていけばいいんです。それが、俺に
とっても、あなたにとっても、一番いいことなんです。いいですね?
小 ・・・
正平 連れていくの?聖二を?
小 岩井さん、
正平 どこへ?どこへ連れて行くの?
仁 ・・・考えたら分かるだろ?親父は、黙ってろよ。
小 ・・・・・・
聖二、戻ってくる。アルバム持ってる。
聖二 お待たせ!ほら、パパ!これ!
正平 (見る)・・・ああ・・・
聖二 ごめんね、どこに置いてあるか忘れちゃって、遅くなっちゃった。でも、ちゃんと
持ってきたよ。
正平 ・・・ああ・・・
小 アルバム、ですか?
仁 聖二、お前これ、どこで見つけた?
聖二 ママの金庫の中。
仁 開けたのか?
聖二 うん。鍵が、置いてあったから。棚に。
正平、アルバムを開く。
仁 ママだ・・・
聖二 パパも居るよ。これ、モスクワだよね、パパ。
正平 モスクワ・・・新婚旅行、
聖二 パパとママと、二人で行ったんだよね。
正平 うん、、楽しかった・・・とっても。愛。優しかった。二人とも、花が好きだった。
正平、デメンシア・プレコクスを手に取る。
正平 デメンシア・プレコクス。モスクワのホテルの近く、散歩してるときに見つけた。道端に咲いていた。きれいだった。拾って帰って埋めたんだ。そしたらどんどん芽が出て、花が咲いて。
聖二 食べちゃった?
正平 ・・・
聖二 ♪芽が出てふくらんで花が咲いたら・・・食べちゃった。
正平 食べちゃった・・・
小 いったい、どうやって食べてたんです?
聖二 砂糖漬けにして。とっても甘くて、おいしくて、気持ちよくなるんです。
小 そうですか・・・
聖二 あれからも、毎日食べてたんだよ。ママが旅行に行くまで。
正平 愛・・・
聖二 ねえ、パパ。
正平 なあに?
聖二 ママのこと、好きだよね?
正平 ・・・うん、好き、だった。
聖二 そうだよね?憎んでなんか、いないよね。
正平 (うなずく)
聖二 よかった。じゃあ、悪いのは全部ストレスなんだね。そうだよね、先生?
小 え、ええ、、
聖二 よかった。ママも、きっと、喜ぶよ。これでママが帰ってくれば、また元通りの家族に戻れるんだから。
正平 ・・・ママ・・・
聖二 どうしたの、パパ?
仁 戻れないよ。
聖二 え、
仁 戻れないんだよ・・・もう、元通りになんて。
聖二 え、、それって、
仁 さあ、そろそろ食おうよ。折角用意したんだしさ。勿体ないよ、冷めちゃうと。
聖二 兄ちゃん、どういうこと?
仁 なんでもないよ。飯にしよう。
聖二 ・・・
仁 ・・・なんだよ。
聖二 食べないよ。
仁 どうして。
聖二 ママが来ないじゃない。
仁 は?何を急に。ママは旅行じゃないか。
聖二 だってジャムカレーはママの料理だよ?ママが作らなくちゃ!兄ちゃんが作ったのなんていやだよ!
正平 聖二、
仁 ・・・わがままを言うなよ。
聖二 わがまま?僕はわがままなんて言ってないよ。わがままなのは、いつも兄ちゃんの方じゃないか。
仁 は?
聖二 いつも自分のしたいようにして。遊びたいときに外で遊んで、家事もろくにしないで。この家を守ってたのは僕だけだったんだよ?兄ちゃんなんて、僕がいなければだめじゃないか、ただの怠け者じゃないか。
仁 ・・・ふざけるな。お前が、いったい、何をしたっていうんだよ。
小 仁くん、
仁 お前が居なけりゃだめ?真逆だよ。
聖二 え、、
仁 必要じゃないんだよ。どうやったらお前が必要だ、なんて言えるんだ?
小 仁くん、少し落ち着いて、
仁 (立って歩く)(少し落ち着いて)親父はお前を本当に可愛がった。そうだろ、親父。今でもそうだ。でも俺にはママがいた。ママは俺のことも可愛がってくれた。だから俺とお前は仲よくやってたんだ。だけど親父とママがいなくなってからは地獄だった。
正平 地獄?
仁 そう、地獄。聖二は俺のいうことも聞かず、俺に父親と母親の役割を全部やらせようとした。
聖二 そんなこと、ないじゃない。兄ちゃんはパパ、僕はママ、二人合わせて一人前。
仁 (聖二に振り向く)待てよ、聖二。掃除も洗濯も料理も仕事も、全部。全部俺がやったんだ。わかる?俺は受け入れるしかなかったんだよ。それ以外に道はなかった。お前が、好きだったから。でも今はそうじゃない。嫌いなんだよ!好きになれるわけないんだよ!
聖二 ・・・、勘違いしてるのは、兄ちゃんでしょ?僕がやってたんだよ、全部。ママのかわりに兄ちゃんの面倒だってみた。だって兄ちゃん僕よりもダメな子なんだって。きっとそうなんだって。だから僕が面倒見なきゃ、
仁 お前に面倒なんて見られたくない。
聖二 わかったよ、面倒はみない。でも今までずっと仲良くやってたじゃない。これからもそうしていこうよ、兄ちゃん。
仁 いやだ。
小 仁くん、もうその辺で(立つ)・・・。
聖二 (立つ)ああ、そう!じゃもういいよ!僕はママを呼ぶから!兄ちゃんの大好きなママに言ってもらうから!好きだよって!パパ、いいよね、それでね、(電話口へ向かう)ママ、ママ、帰ってきて、帰ってきて、番号は?
正平 やめて、聖二。
仁 ・・・。
聖二 番号は!(仁に詰め寄る)
仁 ・・・。
聖二 (受話器をとる)ママ、ママ、ママ、出てよ、帰ってきてよ、帰ってきてよ!言ってよ、僕がみんなに必要だって。(やがて崩れる)
小 聖二くん・・・。
正平 聖二、ママは帰ってこないんだよ。
小 岩井さん?
正平 先生、言ってたでしょ、ママは帰ってこないんだよね?悲しい、悲しい・・・。
聖二 え?パパ、どういうこと、ママはなんで帰ってこないの?
正平 悲しい、悲しい、悲しい、悲しい・・・。
聖二 なんで、パパ、なんで、ママはどうして・・・
仁 ママは死んだんだよ!
(三人仁を見る)、・・・。
照明(紫)
聖二 死んだ?どうして?
仁 ママはな、親父が連れて行かれたのは、自分のせいだと思い込んでいたんだよ。そんなことないのに・・・。親父のせいなのに。
小 仁くん。(立つ)
仁 ママは旅行に行ったんだ。モスクワに。
聖二 モスクワ?
正平 モスクワ。新婚旅行。
仁 (かぶせて)そこで死んだんだよ。飛び降りて。ホテルの屋上から。
正平 悲しい・・・。
・・・
聖二 そんな・・・どうして知らせてくれなかったの。
仁 (下手の椅子に座る)お前はまだ小さい。葬式なんかがいろいろあって、その後 お前と暮らすうち、言い出しづらくなっちゃったんだ。ごめん。
聖二 だって、旅行だって。北海道に。
仁 モスクワに。
聖二 北海道でしょ?北海道でしょ?回ってたんでしょう?回って、回って、回って!まわる、まわるまわるよ時代は回る・・・(続ける)!!!!
仁 待て、聖二、いいか・・・。(静かに)ママは、死んだんだ。
聖二 嘘・・・、(仁にとびかかり、椅子に座らせて押さえつける。)嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!
小笠原、聖二に、ハンカチを使い気絶させる。椅子にうまく寝かせる。
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仁 先生!
小 大丈夫です。軽い睡眠薬を吸わせただけですから。
仁 そうですか・・・、すみません。
小 いえ。穏やかにいくことを望んでいたんですがね・・・、やはりこうなってしまいましたか・・・。
仁 ・・・しょうがなかったんですよ・・・。
正平 聖二は?
仁 ・・・。
聖二 パパ・・・。
小 大丈夫、うわごとです。
仁 本当に?
小 ええ。よくあることです。
仁 ありがとうございます。
小 感謝などいりません。私は医者として失格です。私は・・・。(座る)
仁 (小笠原に近づく)いいですか?あなたは聖二を連れて行けばいいんです。そうすれば、全てがうまくいくんです。あなただって、これまで通り医者を続けられるんだ。
小 ・・・
仁 あとは任せましたよ。お願いしますよ。いいですか?
小 はい・・・。
仁 さようなら。
小 (立つ)待ってください。私には今でもよくわからない。どうしてなんです?ど
うしてここまでして、私と取引したんです?
仁 俺はもうこいつと居られないんですよ。今まで俺は、こいつに縛られた人生を送ってきた。こうでもしないと俺は自由になれなかったんですよ俺は普通の人生を送りたいだけなんですよ。
小 仁くん・・・
仁 お願いします。(頭を下げる)
小 ・・・わかりました。
小笠原、聖二を抱き起こそうとする。
小 あの、あの花、デメンシア・プレコクスのことですが・・・
仁 (小を見る)・・・。
小 寒い地方で、主に鑑賞用として栽培されているんですが、薬の原料にもなるんです。
仁 ・・・
小 少量ならば精神安定剤や睡眠薬としても使えます。しかし、大量に摂取すると、有害な物質が脳にたまります。・・・その、、これは言いにくいことですが、もしこの花を十年以上に渡って毎日食べていたのなら・・・(聖二くんや、ひょっとしたらお父さんのことも、)
仁 分かりました。行ってください。
小 え?
仁 聖二をつれて、出て行ってください。早く。
小 ・・・はい。
小笠原、聖二を持ち上げようとするが、うまくいかない。
小 だめだ、すいません、車まで一緒に運んでください・・・。
仁 ・・・わかりました・・・。
小笠原と仁、聖二を肩でかかえて下手はけ。(落とさないように注意!)
正平 仁?聖二?どこへいったの?
仁、下手から入る。テーブルや棚(電話)の整理をする。
仁 だめだな、掃除の癖がついちゃって。俺は今日から自由なんだから。
正平 自由?
仁 もう自由。自由。そうだ、俺は自由なんだ。
正平 仁・・・
仁 親父、よく聞けよ。俺今度、就職するんだよ。叔父さんの会社。覚えてるだろ?親父のお兄さん。これでやっと、苦しい生活からも開放されるんだよ。やっと、ちゃんとした収入を得て、ちゃんとした服も着て、頭のおかしい弟に苦しまされることもなく、まともに生きていけるんだよ。
正平 ・・・
仁 カレー、冷めちゃったな。アイスも、いらないな。冷蔵庫入れてくるよ。
正平 聖二は?
仁 ・・・
仁。カレーとアイス持ってはける。
戻ってくる。下手の椅子に座る
正平 聖二は?
仁 仁はここに、いるんだけどな・・・。
正平 仁。
仁 何?
正平 聖二は?
仁 病院。
正平 なんで?
仁 ・・・言ったろ?就職するから、邪魔になったんだよ。聖二はワガママだから。頭
もどんどんおかしくなってたし。あいつにとっても病院入ったほうがいいんだよ・
正平 それだけ?
仁 ・・・聖二は親父が好きだったから。
正平 ・・・
仁 親父は聖二が好きだったから。
正平 それだけ?
仁 それだけだよ。それだけの為に、わざわざあの先生と取引したんだ。
正平 取引・・・
仁 ちょっと脅してやったんだよ。手術後の親父の調子が、明らかにおかしかったから。
そしたらね、あっけないほど簡単に請け負ってくれた。・・・分かるか?つまり、
失敗だったんだよ、あんたの手術。
正平 ・・・
仁 知らなかったろ?本当だったら、あんた、微笑む神なんかになってなかったはずな
んだよ。もっと、普通に話せる、まともな姿で戻ってくるはずだったんだ。
正平 ・・・知ってた。
仁 え?
正平 手術は失敗。気づいてた。
仁 そうなの?じゃあ、なんでずっと何も言わなかった?黙ってた?
正平 ・・・天罰だって思った。
仁 ・・・天罰って、
正平 愛を・・・ママを、殴ったことの。死に、追いやったのは、俺。その、天罰。
仁 (立って徐々に寄る)ふざけるなよ。今更そんな物を信じるなら、なんであの時、あんなことしたんだよ。
正平 ごめんなさい。悪かった。
仁 悪かった?何それ、理由になってないだろ?
正平 ごめんなさい。
仁 あんたが、ママを殴らなければ、こんなことには、ならなかったんだ。ママも死な なかったし、家族もメチャクチャにならなくて済んだ。
正平 ごめんなさい・・・、でもね、愛、好きだった。愛、好きだった。
仁 もういいよ、勝手にしてよ。(下手の椅子に座る)
正平 ・・・仁が、ママのこと、好きだったから。
仁 ・・・好きだったよ、ママのこと。でも、子供が親のこと好きなのは、当然じゃないか。
正平 そうか・・・?
仁 そうだよ。聖二も同じ。ママも・・・俺たちのこと、好きでいてくれた。
正平 聖二・・・。
仁 ママは俺らを好きでいてくれた。親父がいなくなるまで。
正平 俺が?
仁 親父がいなくなって、ママは変わった。ママはひとりでいるようになった。で、・・・死んだ。
正平 ・・・
仁、上手はけ。ボストンバッグを持ってくる。
正平 仁・・・?
仁 旅に出るんだ。
正平 え?
仁 ロスアンジェルス、モントリオール、ローマ、パリ、カイロ、ギザ、プーケット、台北、ロンドン、イスタンブールにカルカッタ。
正平 ・・・
仁 ・・・本当はね、どこにも行ったことはないんだよ。聖二に話したことは、全部嘘。・・・仕事で、何度も家を空けた。それで、嘘をついたんだ。
正平 仁・・・
仁 でもね、今回は本当に行くよ。行き先は、モスクワ。
正平 もすくわ・・・。デメンシア・プレコクス。
仁 (花を見る)・・・もう行くよ、パパ。
正平 行っちゃうの?
仁 うん。じゃあね。(下手にはけようとする)
正平 仁・・・、
仁 何?(振り向く)
正平 もう、会えないのか?仁にも、聖二にも、愛にも。
仁 ・・・もう、会えないよ。パパにも、聖二にも、ママにも。・・・みんな
仁、下手はけ。
正平 (写真を見て)ママ・・・。(アルバムを見て)愛、愛、愛・・・。(花を取ってアルバムに挟む)愛!(立つ)ただいま!・・・
音響CI「ナオミの夢」
暗転
幕
音響FO
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